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費用価格 マルクスの『資本論』第3巻第1章で、資本家的観念では、不変資本と可変資本との区別があいまいになり、生産手段と労賃とに代表される資本家の前貸し部分が、あたかも流通過程で一定の利潤を産むということになり、資本家が賃労働者から、生産過程で剰余価値を搾取するという事柄が隠蔽されてしまうということが叙述されている。このように、資本家の頭の中での、あるいは実際に経済活動を行う上での外面的な日常的観念としての、資本家の費用(生産手段の価値と労働力の価値との和=c+v)が、費用価格概念をなしている。 リカードウやワルラスでは、生産費(費用価格)は利潤を含まず、地代論と生産価格論が密接に関連するマルクス(『資本論』段階)との違いは大きな理論的問題である(これについて、たとえば八木紀一郎『社会経済学』第8章を参照されたい)。一般均衡論的には、マルクスの「超過利潤」が「利潤」である。 他方、「レント」は近代経済学固有の概念であり、マルクスのいう「地代」とは区別しなければならない。なお、強いて言えば、マーシャルの「正常利潤」は、マルクスの「特殊的利潤率」に対応している。 (1)マルクス『資本論』第3巻第1章。 (2)八木紀一郎『社会経済学』名古屋大学出版会、2006年、第8章。 (山田祥夫) |